母の小千谷縮

いつも、かずののブログを御覧頂きありがとうございます\(^o^)

 

今回は、母の着物を着て人丸花壇のランチに行ってきました。


実は、私の母は小千谷出身で、
私の小さな頃、夏休みには、祖父のいる
小千谷に遊びに行っていました。

その、小千谷縮とは、

小千谷縮(おぢやちぢみ)は、新潟県小千谷市周辺を生産地とする苧麻
=からむしを使った麻織物。撚りが強い緯糸で織った布を湯もみする事で「しぼ」を出した織物である。
国の重要無形文化財の指定要項にそったものが、
南魚沼市を生産地とする越後上布と共に、国の重要無形文化財に指定、ユネスコの無形文化遺産に登録されている。
堀次郎将俊が越後麻布から改良したもので、昔は農民の副業として特に冬に生産されていた。

小千谷縮の重要無形文化財指定要件は以下のとおりである。

一 すべて苧麻を手うみした糸を使用すること。
二 絣模様を付ける場合は、手くびりによること。
三 いざり機で織ること。
四 しぼとりをする場合は、湯もみ、足ぶみによること。
五 さらしは、雪ざらしによること。

小千谷縮の歴史

17世紀、堀次郎将俊(明石次郎)が、絹織物であった明石縮の技法を応用し、
越後麻布の改良に成功した。その改良は魚沼地方全体に広がっていった。
当時は、越後縮と呼ばれていた。
17世紀中頃、小千谷で縮市が開かれるようになった。
魚沼・刈羽・頸城で織られた縮が小千谷の仲買人・問屋に集められた。他に、堀之内・十日町でも縮市が開かれていた。
『越後名寄』には、「4月から7月迄行われる縮市には、
江戸・京・大坂など日本中の商人が集まっていた」と書かれている。
1800年の『北越志』には、「大きな家も、小さな家も、民家は一軒残らず機織の音のしない家はない。皆、縮を織っているのだ。」と書かれている。
『北越志』の著者が越後を訪れたのは夏の頃で、織りの最盛期ではなかったが、それでも、多くの家が機織していたという。
1955年5月12日、「越後縮」として国の重要無形文化財に指定される。
指定名称は1960年に「小千谷縮・越後上布」に変更。
1976年、越後上布・小千谷縮布技術保存協会が保持団体に認定されている。
2009年9月30日、ユネスコ無形文化遺産に登録される。

明石と小千谷に、縁を感じながら、

色々な人たちのご縁と出合い。

娘のライオンズの奨学金に感謝して、小千谷縮を着て過ごしました。

今日も楽しい一日でした。

明石、神戸で振り袖ならかずのにお任せください。\(^o^)/